コロンボの指揮とガヴリーロフのヴァイオリンでハイドンのヴァイオリン協奏曲第四番を

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ハイドン作曲のヴァイオリン協奏曲第四番をサシュコ・ガヴリーロフのヴァイオリン、ジュネーヴ放送交響楽団の演奏、ピエール・コロンボの指揮で聴きました。

 

コロンボらしい遅めの速度でドッシリと構えた響きで展開しています。その為、曲全体は硬質な作りをしています。ただ、音の一つ一つ質自体は多少の柔らかさはあり、独自のゆったりな指揮法が硬めな音響効果を生み出しているとも言えましょう。それ故に、コシのよく効いた粘り強さが特徴的な演奏です。

 

ヴァイオリンの独奏の方も芯の通った音色を奏でています。この音色もまた硬めなものとなっていて、粘りのある力強さがあります。人間の歌に喩えますと、我が国の演歌の様であり、哀愁を漂わせながらも叙情性豊かに音調を伸ばしてヴァイオリンを歌わせています。

 

この様な現代ならではの演奏法に関しては、好みが分かれるかと思います。中にはバロック及び古典派らしさに欠くと忌み嫌う人が一定数いるかもしれません。ですが、私としてはこれはこれでいいかと思いますし、現代オーケストラらしさが前面に出ていて古楽とは別の意味合いで歴史を感じさせますね。因みに、この録音は1962年です。アーノンクールなどが古楽器の演奏でバロックや古典派の音楽を昔ながらの楽器とその音で表現する一昔前の頃です。一方でクラシック音楽の業界では、チェンバロというバロック・古典派では当たり前だった鍵盤楽器の見直しが進んでいました。更に、これはモノラル録音で、音質面でも多少の古めかしさがあり、録音の技術の側面から歴史的な所も垣間見えます。

 

これらの経緯を踏まえると、今日の様に良質な音響で昔ながらの音楽を聴ける様になる迄に、数多の先人の努力の1ページをこの録音から窺えましたね。

 

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アシュケナージのピアノとハイティンクの指揮でラフマニノフのピアノ協奏曲第四番を

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ウラジーミル・アシュケナージのピアノとベルナルド・ハイティンクの指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏でラフマニノフ作曲のピアノ協奏曲第4番を聴いてます。

 

華麗で温和さのある響きを醸し出した演奏です。それと同時に細やかにキラキラと音を紡ぎ出していくピアノが実にオシャレです。時には小刻みなテクニックで音を弾ませ、時にはゆったりとした調べを聴かせてから芯のある音を叩き出し、メリハリを効かせます。

 

一方のオーケストラの方はというと、濃密な和音で旋律を奏ででは、上品な空間を演出していきます。豊潤な音響効果で広々とした音楽の流れを生み出すのです。それだけで無く、各々の楽器の音色も大事にしていて、木管楽器のソロや同じ種類の弦楽器ないしは金管楽器も品の良い旋律を奏でています。

 

上質な響きのまとまりの正体をオーケストラの各楽器のメロディでもって丁寧に話しているかの様です。第三楽章では、トライアングル・大太鼓・シンバル・タンバリンも登場しています。第二協奏曲ではシンバルだけでしたが、それ以外の打楽器を用いている所からはちょっとした華やぎも感じさせます。

 

ちなみに、この曲のスケッチ自体は1914年からありました。ですが、1917年のロシア革命でこの曲どころか作曲活動自体が停止、アメリカでの演奏活動中の1924年に作曲をして、パリ滞在中の1926年にやっと完成です。その後も、作曲者自身も曲の長さなどで納得がいかずに1938年に改訂を施しました。出版自体はラフマニノフの没後一年の1944年であった事を鑑みると、本人としてはまだ改善の余地ありと判断したのでしょう。この録音もそうですが、この改訂版での演奏が多いです。

第二協奏曲と比べると、この第四番は良くも悪くも控えめな美しさがあります。その側面をより良くしてから出版に踏み切ろうとしたのかもしれません。

 

それと、改訂前のバージョンも残っていて、その版で録音した演奏家もいるそうです。

いつかは聴いてみたいものですし、長い物好きな私としては興味をそそりますね。

 

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ベルリンフィルの管楽器アンサンブルでベートーヴェンのマイナーな室内楽を

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今年はベートーヴェンの生誕250年です。せっかくなので、彼の無名ながらも良い作品を取り上げます。

 

今回は、ベルリンフィル管楽器アンサンブルによる演奏で二本のオーボエと一本のイングリッシュホルンによる三重奏曲を聴きました。

 

三つの管楽器は共に歌心に満ちていて、長閑さと伸びやかさを感じさせます。

 

第一楽章のタターンという始まりこそ堂々としていて、ベートーヴェンらしさがあるものの、ディヴェルティメントの様な気さくな明るさと純朴さで溢れています。

 

曲を作る側も演奏をする側も単純に音楽が好きで楽しそうにしている様子が目に浮かんでくる程です。

 

え?こんなに明快で音が澄んでいる曲がベートーヴェンの作品?と耳を疑ってしまいそうな室内楽となっています。オーボエは純粋に綺麗な音を立て、イングリッシュホルンも少々濁った音色で、その個性を活かしてしみじみとした味わいを漂わせています。

 

それもその筈、この三重奏曲は1795年に作曲と、25歳の若かりしベートーヴェンの作品です。しっかりとソナタ形式は守られているなど、いかにも古典的でハイドンモーツァルトらの先人の影響の色濃い作品であります。作風自体は習作の域を出るか出ないかの作品であります。

 

ですが、1795年の作曲者と言いますと、耳を悪くする数年前の作品という事もあり、芸術家としての強い使命感でもって数々の傑作を生み出していく前兆も見せています。その証拠に、イングリッシュホルンを珍しくベートーヴェンは起用していて、先にも後にも無い様な編成でこの室内楽曲を作り上げました。その上、彼の曲でイングリッシュホルンを用いた曲は全然聞きませんし、彼の管弦楽の作品においてもその管楽器は殆ど使われません。

その上、よくよく聴くと後の交響曲第一番や第二番の様な力のある躍動感を見せる事もあり、その傾向はこの三重奏曲の第四楽章で現われています。

 

要するに、この曲でベートーヴェンは先代の影響を大きく受けつつ、少しずつ自分の個性を取り入れています。新たな気鋭の入った彼のの隠れた佳作とでも言いましょうか。

 
購入はこちらから。こちらはベルリンフィルの団員の録音ではありませんが、ご容赦ください。

ピエール・コロンボの指揮とイザベル・ネフのチェンバロで、大バッハのチェンバロ協奏曲第3番を

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ピエール・コロンボの指揮とイザベル・ネフのチェンバロ、オワゾリール・アンサンブルの演奏でバッハのチェンバロ協奏曲第3番を聴きました。

 

音響がとても太く、ガチガチの現代オーケストラならではの弦合奏でズッシリと音を鳴らしています。音楽の速度は若干遅めです。

 

バロック音楽に於いてもその様な響かせ方をしている点からは、ロマン派以降の管弦楽団の傾向を色濃く反映させていて、これはこれで時代を感じさせるものとなっています。

 

それから、チェンバロの方も力強く音を立てていて、これまたドッシリとした威厳を持って演奏しています。それでいて、チェンバロならではの雅さは損なわれずに鮮やかにマザマザと音を煌めかせています。更に、音符の一つ一つ一つを几帳面に出しています。独特の磨き上げた現代様式の管弦楽によるバロック音楽の極致を編み上げているのです。

 

因みに、大バッハは1729年から1741年にライプツィヒの音楽愛好団体の指揮を取っていました。それと同時に自分の息子や弟子が一流のチェンバロ奏者となっていて、この第3番をはじめとしてそれらを背景にチェンバロ協奏曲を色々と生み出したと考えられています。

しあし、その鍵盤楽器の為の協奏曲の多くが別の曲からの引用、もしくは元々別の独奏楽器のために作られたものです。要するにチェンバロをソロとして用いるために別の協奏曲から編曲したのです。例えば、この第3番に関しては、原曲がヴァイオリン協奏曲でした。

この様な鍵盤楽器の為の協奏曲を世に発表して演奏した事は、バッハの息子やハイドンなどの後年の作曲家に影響を与え、ピアノ協奏曲を主要なクラシック音楽のジャンルにしたのではないでしょうか。

 

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アシュケナージのピアノでラフマニノフのピアノソナタ第一番を聴きました

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明けましておめでとうございます。

 

今年もよろしくお願いします。

 

長いこと更新が無くてすみません。

 

さて、今回はウラジーミル・アシュケナージのピアノでラフマニノフピアノソナタ第一番を聴きました。

 

ドンドン掘り下げる様な深みが全体的に満ちている演奏であります。

それと同時に情緒的な暖かみをも混ぜ込んでいて、聴きやすい演奏となっています。ショパンに引けを取らない位に色気たっぷりに憂いな曲線を光らせているのです。

それから、交錯するメロディやハーモニーも実に巧みで、ラフマニノフが卓越したピアニストであった事も窺わせます。

女性的な優しさを含めながらも男性的な野太さでもって幾重にも織り交ぜた旋律群が特徴的な演奏です。

 

ちなみに、この曲は1907年の作曲者が37歳の時に作られたものです。当時のラフマニノフドレスデンに滞在していて、モスクワでの喧騒を逃れる為でもありました。更に交響曲第一番で失敗していて、そこから挽回していくには、静かなところでしっかりと質の良い曲を作ろうとしていたのです。当初ラフマニノフはリストのファウスト交響曲を意識していたのですが、その発想を放棄して純音楽のピアノソナタにしています。その演奏時間は40分弱となっていて、第三楽章の主題は第一楽章のものを使っていて、それらを巧みに変容させて展開させている点に、リストの影響や作曲を思いついた時の面影を感じさせます。

 

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ドヴォルザークの歌曲を聴きました

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ドヴォルザーク作曲の10曲の聖書の歌を聴きました。ダグマル・ペッコヴァのメゾソプラノとイリジー・ビエロフラーヴェクの指揮、チェコフィルハーモニー管弦楽団の演奏です。

 

それぞれの曲は4分に満たない程度、管弦楽の編成も小さいのですが、とても叙情的で旋律美に溢れています。全体的に穏やかな響きの中にグイグイと耳を引き込み、どこか強い拍子で聴かせる所は、ドヴォルザークならではと言った所です。

 

メゾソプラノのペッコヴァはそんな曲を深みたっぷりに歌い上げています。神への祈りと慈悲を求める心情を深刻さと真摯さも込めて聴かせているのです。憂いも実直に伝えてきます。

 

一方のオーケストラの方も地味ながら味を利かせて響かせています。女声の歌声にそっと添えて音を鳴らし、柔和なものとをなっています。それを通して、温かで素直な気持ちを作り上げるような音響効果も生み出せているのです。

 

ちなみに、この曲は1894年に成立、ドヴォルザークアメリカに居た頃に作曲されました。その時の作曲者といえば、新世界交響曲などで音楽家として充実していた一方、ホームシックになっていた頃でもあります。その上、チャイコフスキーなど親交のあった大物の音楽家の訃報もドヴォルザークの耳にも届き、本人の気持ちも沈んでいた事でしょう。その様に落ち込む自分を慰め、神による救いを考えてたのを機に聖書による詩の歌曲を10曲作ったのではないでしょうか。当時の心の中をやんわりとこの曲は表現している様な隠れた名作です。その内の5曲が管弦楽にも編曲され、こうして演奏されたのです。

 

 

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フルトヴェングラーのヴァイオリンソナタ第一番を聴きました

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ソフィー・モーザーのヴァイオリンとカーチャ・フーンのピアノでフルトヴェングラーのヴァイオリンソナタ第一番を聴いてます。

 

壮大かつ広大に音楽を展開しています。交響曲などの管弦楽を用いた大作でのフルトヴェングラーの作風がヴァイオリン・ソナタの分野においても顕著に現れています。

 

ヴァイオリンは思索的な深さを聴かせる事もあれば、劇的な華麗さでもって奏でる事もあります。ニ短調の哀愁感をまざまざと響かせるのです。

 

ピアノの方はと言いますと、テンポの遅い部分では静かな低音を弾く時は悪魔的な囁きを醸し出します。速度の速い部分では中音域から高音域のではヴァイオリンに負けじと深淵で力強い音響を紡ぎます。

 

総じて言うと、フルトヴェングラーらしい哲学性の深みを淑やかに弾き出しては、上へ上へと上昇していく昂揚感の溢れる壮麗さを見事に表現した良好な演奏であると言えます。この曲は約55と分ヴァイオリン・ソナタとしては異例の長さです。しかし、この曲は時として鋭く突き進んでは、下へ下へと深く下降していくメリハリも付いていて、聴き手を飽きさせません。

 

ちなみに、この曲は1937年に作曲と第二次大戦が2年前に迫っていました。それもあって、やはり厭世的で深刻さもにじみ出ています。そのような情勢の中にありながらも、音楽家としての意志を持って作曲を続けたフルトヴェングラーの姿勢が感じられる隠れた名曲と言えましょうか。

 

 

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