バラキレフの第一交響曲をソビエト国立管弦楽団とスヴェトラーノフの指揮で

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ソビエト国立交響楽団の演奏とエフゲニー・スヴェトラーノフの指揮でバラキレフ作曲の交響曲第一番を聴きました。

 

豊潤な音響でもって音楽を展開しています。それぞれの楽器の音ば明瞭でハキハキと聴かせていて、その美しさの面でチャイコフスキーの曲にも負けていません。彼のの音楽と比べると多少の泥臭さがありますが、その分ロシアという国の土着らしさ・活気が溢れていて、流石はロシアの国民楽派と思わせます。

 

音楽の色彩の面ではチャイコフスキーリムスキー・コルサコフとは一味違った色合いを持っていて、多少の淡さ・控えめさ・色使いの思い切りさを感じさせます。管弦楽法が他の作曲家と一味違うのです。具体的な例を上げますと、ティンパニ以外の打楽器を先の二人の作曲家よりも積極的に登場させたり、そこそこ活気のある時にハープの音を登場させてトライアングルの音と重ねる事が挙げられます。多様な楽器をドンドン混ぜ込み、いささか雑然とした音の重なりを感じさせる事もあります。その様なバラキレフの第一交響曲を地元のオーケストラは大胆な筆致と覇気を持って響かせています。緩徐な箇所では、音を伸びやかに奏でていてバラキレフバラキレフなりの美を造形しているのです。情緒的ながらどこか信念のある音色をしています。

 

総じて言えば、ピアノ音楽のイスラメイだけでは無いというバラキレフの一面をこの交響曲は示しているのです。

 

ちなみに、バラキレフは本業が音楽家でしたが、作曲は遅い方でした。それは彼が様々な音楽をよく知り過ぎていて尚且つその精通ぶりがかえって作曲活動を遅めてしまったのです。それから、1870年代には自身の勤めていた音楽学校の財務問題や演奏活動の失敗などで創作活動が停滞、音楽家を辞めて一時は鉄道会社で勤務していた事もありました。故に、バラキレフ自身が作品数自体も少ないです。1837年生まれでブラームスと同年代、1910年に死去と割と長く生きただけに残念です。

 

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