ご無沙汰です。ワーグナーのホームページを作成しました。

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ご無沙汰です。

 

長らく更新が途絶えてしまい、申し訳ありません。

 

実は、ファイナンシャルプランナー二級の資格取得の為に勉強をしておりました。

 

結果は見事に合格で、自己採点で合格が分かった後にはホームページ作成について勉強していました。

 

そこからホームページのコンテストにも参加、ネタをワーグナーにしています。

 

具体的にはホームページに書いてありますので、ご覧になって頂ければ幸いです。

 

http://kx589.expws.com/Default.aspx

 

エントリーもしています。

 

今後ともよろしくお願いします。

 

追記

 

2020年11月5日の発表で私は三位に入賞しました。

 

応援してくださった皆様には感謝の念で一杯です。

 

今後とも宜しくお願いします。

 

シューベルトのヴァイオリン協奏曲をクレーメルのソロで

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シューベルト作曲のヴァイオリン協奏曲ニ長調を聴きました。演奏はギドン・クレーメルのヴァイオリン、ヨーロッパ室内楽団です。

 

モーツァルトの影響が濃く、音の作りや和音もよく似ています。しかしながら、シューベルトの歌心ある詩情は奏でられていて、素朴な味わいが堪能できます。一つ一つの音も柔和でサラサラと流れる春の小川の様です。その上、淑やかながらも晩年の交響曲に繋がる恰幅の良さと多少のズッシリとした響きもあり、作曲者の個性がこの管弦楽を用いた曲にも現れています。

 

ヴァイオリンの独奏の方も単に伸び伸びと歌っているだけでなく、時として力強く凝った技巧を聴かせることもあります。この点からは、クレーメル自身の鮮やかに奏でる個性を感じさせますし、シューベルト自身この楽器の扱いが上手かった事も伺わせます。単なる技術のひけらかしにならずに、人間の自然な感情をサラッと表しているのです。

 

ちなみに、このヴァイオリン協奏曲は作曲者が19歳の時に兄のフェルディナンドの為に作られました。かの有名な「魔王」と時期的に近く、この音楽家が音楽的にも個性を確立する頃です。10分程度で短くテンポの遅い序奏と速度の速い部分の2部構成となっていて、シューベルト唯一の協奏曲です。フェルディナンドは郊外で孤児院の教師でヴァイオリンも弾いてた為、この位の規模がちょうど良いとシューベルトが判断したのでしょう。オーケストラの編成も2管編成ですが、管楽器とティンパニが弦合奏への付随的な音しか出していません。元々弦楽四重奏と独奏ヴァイオリンの曲だった印でもあります。それから、この時代はヴァイオリン協奏曲というジャンル自体が少なく、あまり流行っていませんでした。そういった時代的な背景や兄の背景が含まれた秘曲です。

 

 

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グレン・グールドの1955年のゴルトベルク変奏曲を

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大バッハゴルトベルク変奏曲グレン・グールドの演奏で聴きました。1955年の方です。

 

曲の速度は早めながら澄みきった音を奏でています。変な緊張感は出さずに気さくな演奏法で和ませられています。その分、現代ピアノでありながらも昔ながらのバロック様式でスルスルと奏でている感じですね。1955年の頃と言いますと、バロック音楽はバリバリ現代の様式でがっしりと奏でる事が主流ですが、時としてその傾向を示すこともあり、上手い具合に二つの特色を両立させているのです。

 

それから、グールドは軽やかに躍動感を持って弾き出すこともあれば、独特のリズムを踏んでポップに演奏することもあります。一つ一つの音も緊密に結びついていて、濃縮性もあります。この点からグールドは発表当初、ジャズ的等と批判されることもあれば斬新さのある演奏として評価されたのでしょう。ですが、それだけ大バッハの音楽は後世に多大な影響を及ぼした事の裏返しであると見做せます。温故知新を如実に示した録音ですね。

 

こうして評価していると、大バッハの音楽はクラシックというジャンルを超えて愛されている事が伺えます。ジャズの分野ではキース・ジャレット平均律を録音していますし、長調短調の音階を全て用いて作曲ている辺り、彩りあるメロディの基礎を築き上げたとも言えます。私が更に驚いたのはJ-POPの分野でも大バッハの音楽が用いられていた事ですね。それはSEKAI NO OWARIのBlue Flowerという曲で、皮肉まじりな曲調で怪しげな中にバッハのチェンバロ協奏曲の旋律を混ぜていました。こんな使い方もあったのか!と衝撃を受けたのをよく覚えています。

 

 

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ヤナーチェクの弦楽四重奏曲第一番をエマーソン四重奏団の演奏で

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ヤナーチェク作曲の弦楽四重奏曲第一番「クロイツェル・ソナタ」を聴きました。

 

劇的な緊張感が持続していて、四本の弦楽器が緊密に絡み合っています。その為、非常にまとまりが良いものとなっています。更に、それぞれの楽器の音も明瞭で弦楽四重奏曲という分野がいかに対位法を聴かせてバランス良く展開させていく事が大切かよく分かります。すなわち二つ以上の旋律を同時進行でキチンと紡ぎ出し、尚且つしっかりと各々の独自性を重んじられるかが肝要かを思い知らされるのです。

 

それから、技術面だけでなく強弱の付け方も巧みなものとなっていてメリハリが充分です。音響の起伏が大きく時には静寂に時には大胆に音楽を進めていて、聴き応えが抜群です。その際も不協和音とそのメロディを当然の如く鋭い響きで奏でています。比較的静寂な部分や速度の遅いでもその傾向はあり、仏教の瞑想の様な念をも感じさせます。この事からもこの四重奏団が近現代の作品と相性が抜群で、その演奏に長けていると言えます。

 

ちなみに、この第一四重奏曲の「クロイツェル・ソナタ」という題名は小説の名前に由来しています。その作者はトルストイで主人公の男が妻の不倫を知り、殺すという筋書きです。その順通りにこの曲が展開しています。道理で劇的で攻撃的な暗澹さを感じさせるわけです。私はこの小説を読んだ事はありませんが、いつしか読みたいものです。

 

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バラキレフの第一交響曲をソビエト国立管弦楽団とスヴェトラーノフの指揮で

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ソビエト国立交響楽団の演奏とエフゲニー・スヴェトラーノフの指揮でバラキレフ作曲の交響曲第一番を聴きました。

 

豊潤な音響でもって音楽を展開しています。それぞれの楽器の音ば明瞭でハキハキと聴かせていて、その美しさの面でチャイコフスキーの曲にも負けていません。彼のの音楽と比べると多少の泥臭さがありますが、その分ロシアという国の土着らしさ・活気が溢れていて、流石はロシアの国民楽派と思わせます。

 

音楽の色彩の面ではチャイコフスキーリムスキー・コルサコフとは一味違った色合いを持っていて、多少の淡さ・控えめさ・色使いの思い切りさを感じさせます。管弦楽法が他の作曲家と一味違うのです。具体的な例を上げますと、ティンパニ以外の打楽器を先の二人の作曲家よりも積極的に登場させたり、そこそこ活気のある時にハープの音を登場させてトライアングルの音と重ねる事が挙げられます。多様な楽器をドンドン混ぜ込み、いささか雑然とした音の重なりを感じさせる事もあります。その様なバラキレフの第一交響曲を地元のオーケストラは大胆な筆致と覇気を持って響かせています。緩徐な箇所では、音を伸びやかに奏でていてバラキレフバラキレフなりの美を造形しているのです。情緒的ながらどこか信念のある音色をしています。

 

総じて言えば、ピアノ音楽のイスラメイだけでは無いというバラキレフの一面をこの交響曲は示しているのです。

 

ちなみに、バラキレフは本業が音楽家でしたが、作曲は遅い方でした。それは彼が様々な音楽をよく知り過ぎていて尚且つその精通ぶりがかえって作曲活動を遅めてしまったのです。それから、1870年代には自身の勤めていた音楽学校の財務問題や演奏活動の失敗などで創作活動が停滞、音楽家を辞めて一時は鉄道会社で勤務していた事もありました。故に、バラキレフ自身が作品数自体も少ないです。1837年生まれでブラームスと同年代、1910年に死去と割と長く生きただけに残念です。

 

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エーリヒ・クライバーの指揮とNBC交響楽団の演奏でドヴォルザークの「謝肉祭」を

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NBC交響楽団の演奏とエーリヒ・クライバーの指揮で、ドヴォルザークの「謝肉祭」作品92を聴きました。

 

気合の入った実に鮮烈で芯の通った演奏です。トスカニーニの元で非常に鍛え上げられた事もありますが、作曲者のチェコ人としての誇りと自国に対する強い思いを投影させているかのようです。彼ならではの美しい旋律と拍子で、グイグイと聴き手を虜にしていく所もしっかりと響かせています。

 

それから、極めて燃焼度も高くピンと糸を張った緊張感も終始抜けません。録音年代が1947年か1948年と終戦直後であるという背景もありますが、思わず圧倒されますし、聴いていてその感触が寧ろ心地よく、演奏の凄みが堪能できる名演となっています。9分程度の演奏時間の中で、エーリヒ・クライバーの指揮が丁寧かつ確実にオーケストラをまとめ上げ、それでいて明快に歌い上げる事に長けていた事を如実に伝えています。そんな明快な歌心の姿勢は息子のカルロスにも引き継がれているとでも言いましょうか。

 

ちなみに、この序曲「謝肉祭」は三部作の中の1作品で、「自然の中で」「オセロ」とまとめて「自然と人生と愛」とドヴォルザーク本人が呼んでいて、1892年に完成です。ただ、この三曲は標題音楽ではない事から何かしらの描写をするわけではなく、三作連続で演奏される事はあまりありません。曲の傾向自体が三者三様で音楽の主題そのものに連関性が無い事もその要因かと思います。せめてスメタナ交響詩「我が祖国」の様に各曲に共通する主題が何か一つでも有れば三曲通して演奏されたかもしれません。さて、「謝肉祭」はこの三部作の中では人生に当たります。ドヴォルザーク自身が肉屋と宿屋で生まれ育った事トランペットを吹けた伯父とツィターという弦楽器の弾けた父親の影響もあった事、経済的な困難や失恋など色々ありながらも充実した音楽家としての人生を歩んだ事がこの曲にも反映されていましょうか。

 

 

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ネーメ・ヤルヴィの指揮でリムスキー・コルサコフの第二交響曲を

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ネーメ・ヤルヴィの指揮、エーテボリ交響楽団の演奏でリムスキー・コルサコフ作曲の交響曲第2番「アンタール」を聴きました。

 

柔らげな音色で陰影を染み通すものとなっています。そうして物憂げな夕暮れを彷彿させる一方、曲の速度を上げて光明の瞬くかの様な煌めきを聴かせる事もあります。そうやって広大な海を思わせる音響を演出し、幻想的で温和な旋律を次々と編み出していくのです。特にハープと木管楽器の音が色気のある幻影を生み出し、ティンパニの木霊する音は強すぎず鋭すぎずの程よいものとなっていて、広々とした響きを見事に作り上げています。アラビアンな趣に満ちた旋律も鮮やかです。

 

それと、この曲も交響組曲「シェヘラザード」にも負けないほどの色彩感があります。弦楽器群が細やかに海が次から次へと波打つかの様に音を刻めています。一見すると同じに見えたり聞こえたりする波でも微細な違いがあって趣のある側面を如実に表現しています。金管楽器群やその他の打楽器も時として力強く沖へと打つ波やその上を朗々と渡っていく船を凛として表すかの様です。

 

総じて言えば、知名度は「シェヘラザード」より劣るものの、管弦楽法の面でリムスキー・コルサコフの色が前面に出ていて、色彩に富んだ佳作であると言えます。海を連想させる作風を押し出している辺りは、海軍の経歴のある作曲者ならではの個性です。この交響曲が1868年に作曲でリムスキー・コルサコフがまだ海軍に在籍していた頃のですから、その傾向はなおさらです。

 

ちなみに、アンタールとは6世紀のアラビアの男の詩人で、中東ならではの独特雅なメロディも登場しています。この交響曲には物語の筋書きがあります。その内容はと言いますと、彼が妖精の女王と出会ってから、彼女からのお礼の喜びを得て死ぬまでの過程を表しています。その為、標題のある多楽章の交響曲の様な作品となっていて、1897年に改訂をした際には交響組曲として扱われる事となりました。

 

版の違いの比較もしたいものです。

 

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